19:30~20:20 2students
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★助動詞と時制の一致の誤解
助動詞とは、動詞の司る動作が起こる「可能性」を規定しているに過ぎないんです。
- Will……可能性がかなり高い(ほぼ未来において確定しているレベルで)
- Would……それなりの可能性
- Can……可能性あり
- Could……より低い可能性あり
- Can’t……可能性がない
- May……可能性は低い
- Might……可能性はさらに低い
- Shall……かなり望ましい
- Should……望ましい(shallの”過去形”)
- Must……必然的
could, would, might, shouldなどは、過去形として学びますが、実際の会話などで過去の意味で使われることはありません。
- He would lose his job if he were identified.
- You might feel better if you went to bed early.
- He should learn to be more polite.
- It could rain later this evening.
- Would you help us?
このうち、幾つの文が過去の意味で使われてると思いますか?
答えは0です。
ではなぜ、このような勘違いがあるのか?
それは学校で「過去形」として習うからですが、実はこれは時制の一致の時そう変化するので、表面上「過去形」です言った方が簡単だからです。
I think he may come.
She said, “I will do my best.”
-
- She said that she would do her best.
それぞれ、過去の文にするときに、助動詞を「時制の一致」させるので、「過去形」と便宜上言っています。
しかし、そもそも「時制の一致」というルールは英語に存在しません。
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「時制の一致はウソ」
“I said I will fight and establish Bangladesh as a peaceful state in South Asia.”
この文章は実際に公式の演説で使われた文章ですが、said 以降の過去の節に will があります。
学校英語だと would を使わないと減点されるところですが、実際には問題ありません。
「will の方が 意思を伴う、確率の高い、決意のこもった言葉なので、これが選択されています」
ここでwouldを使えば、話しての言葉には力がなくなり、そんなに戦う気は無いんだなぁという印象すら受ける可能性があります。
- Jill said that she has too much work to do.
- Jill said that she had too much work to do.
この場合、どちらも正しいですが、1. では言ったのは過去ですが、まだ現在も仕事が残っていることになります。2. では過去のタイミングで仕事が沢山あっただけなので、今もあるかどうかは分かりません。
このように、通常の文であっても、
あくまでも従属節の事象に対する、話し手の心理的距離間で過去形、現在形を選択するのです。
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話しを助動詞の上記の書き換えに戻すと、
この書き換えの場合は、時制なんかが問題になっているわけではなく、助動詞が担当している「可能性」の高い低いの問題なんです。
過去の可能性を話すときは、より可能性が下がります。(過去のことなので、記憶も曖昧になるし、可能性について「普通は」断言しづらいと考えます)
なので、より可能性の低い表現を使うのだと考えてみてください。
もし、助動詞を使って過去を表したいなら、
過去を担当するもう一つの単語 have を加えてやればいいわけです(あるいは言い換えも可能)
I could have been killed.
I can’t have been killed. (can は通例否定文でhave と一緒に使われる)
I was not able to be killed.
He might have come.
She may have come.
I should have done it.
It must have been good.
これらは、確かに過去の意味で使われていますが、have が出てくる過去では、やはりより可能性の低いcould, might, should, などが使われやすいです。
以下に、可能性の高い低いを表す、日常会話的な分かりやすい例をあげます。
→できるけど、、、(できればやりたくないなぁ)
→やりますよ。(全然できるし)
→そうなりそうやね。(可能性は割とあるよ)
→かもね、、、(可能性はひくいけど)
★完了系
実際、過去形と現在完了の間に大きな違いはありません。
普通の会話では言い換えても、そこまで問題になりません。
ではどういう違いがあるのか、なぜわざわざ似たような別々の表現を作ったのか?
どっちかでよくない?
と思いませんか?
完了系になぜ have が使われるのか考える必要があります。
Have の 一番大事な意味は「持っている」
継続のイメージは、「何かをした状態」を「持っている」
経験のイメージも同じく「何かした状態」を「持っている」
I played soccer.
I have played soccer.
1つ目は、ただ昔やっただけで、今はできないというニュアンス。
2つ目は、昔やった状態を今も持っているので、継続や経験のニュンアンスが加わり、今もできることになりますので、2つの文章はhaveのニュンアンスのせいで全く違ったものになります!
I was playing soccer.
I have been playing soccer
過去完了の理解も、このhave のイメージがあると、とても簡単です。
I had already finished my homework when she came back.
つまり、彼女が帰ってきた時には、すでに「終わった状態を持っていた」となる。
「持っていた」と言えるためには、終わらせている必要がある。
単純過去では、帰ってきた瞬間に終わったことにるので、過去のもっと過去を表せる。
Have 使った方が、日常会話的→色鮮やかに表現できる
単純過去は白黒映像のようなイメージ、ただ事実を言っている(もう色は色あせ、事実だけが残る)
そのため、小説なのでは基本的に会話文以外は単純過去、会話では完了系が使われる
How long have you been here?
How long were you here?
あるいは、このような決定的な文脈的違いをもたらすこともあります。
I loved you.
I have loved you.
I have been loving you.
一番上はもう終わった愛、二つ目は今も続いている愛で、一番下は今も続いている強い愛を表します。
未来完了も同様です
He will have played soccer for two years by his graduation day.
これは、卒業という未来の時点で、「2年間やってきた」という結果を持っているだろう、というニュアンスだです。
もし進行形にしたら、より生き生きと強調するような形になり、毎日毎日のコツコツした努力などのリアリティが印象として伝わります。